2012年3月28日水曜日


24歳の女です。

音を立てないからって、マナー違反ではないように思います。

以前、新聞で読んだことがありますが、
ラーメンの場合、片手で箸を使ってラーメンを持ち上げ、
それを反対の手で持ったれんげに入れて食べるということは、
マナー違反だと書いてありました。
しかし、グルメ番組とか、結構やってますよね…。

私は音を立てて勢いよく食べることはできません。
麺類は箸で麺の1番下をとって一口で食べられるように
まとめてから食べます。

2012年3月26日月曜日


胎児の動き   2005年07月27日

投稿者:枝豆 主婦 29歳 顕微受精ではじめて妊娠できたものです。今16週に入りました。 昨日、健診で超音波画像を見ました。 心臓はちゃんと動いているのが見えましたが、手足や体は全然動いていませんでした。 色々な人に聞いても、「もっ...

2012年3月24日土曜日


エイズ開発の歴史 "公文書に由来する「研究室で生まれたAIDSの証拠」"の抜粋
by ボイド・E・グレイブス、J.D.
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AIDSの起源に関する歴史は20世紀を通り越し、1878年まで遡ることができる。この年の4月29日に合衆国は"連邦隔離法"を承認した。
合衆国は疫病の「原因」に関して一連の努力を始めていたが、1887年になってこの「努力」は合衆国「衛生研究所」の設立命令にまで発展した。この研究所はジョセフ・K・キニョウン博士(Dr. Joseph J. Kinyoun)という根っからの人種差別主義者によって運営されたが、この人物は優生学運動に身を投じていた。
この2年後の1889年には、我々は感染源として"マイコプラズマ"を特定できるようになったが、これは今ではHIV(AIDS)を含む多くの疾病の中心的原因であることが分かっている。
1893年には、我々は連邦隔離法を強化したが、この年には突発的で爆発的なポリオ感染があった。
1898年、我々は疫病を起こすためにマイコプラズマが使えることを知ったが、これは家畜に対する動物実験が成功しており、(マイコプラズマ感染症は)タバコにも見られたからだ。
1899年、合衆国議会は"アメリカ合衆国内のライ病"の調査を始めた。
1902年に、我々は"実験的進化のための基盤"(Station for Experimental Evolution)を組織し、人種に由来する疾病の同定が可能になった。
1904年には、我々は馬の疫病を発生させるためにマイコプラズマを使用した。
1910年には、我々は家禽や鳥の疫病を発生させるためにマイコプラズマを使用した。
1917年、我々は"アメリカ実験生物学協会連盟"(Federation of the American Society for Experimental Biology )を組織した。
1918年、(スペイン風邪の)インフルエンザ・ウィルスが数百万の何も知らない人々を殺した。この風邪ウィルスは、霊長類が「後天的な免疫」を持たない鳥のマイコプラズマとともに改変されたものであった。
1921年、優生学を先導する教授であるバートランド・ラッセルは公に、黒人人口に対する「"組織化された"疫病の必要性」を訴えた。
1931年に、我々は秘密裏にアフリカ系アメリカ人を調査し、羊に対してAIDS(を起こす)実験を行った。
1935年に、我々はタバコ・マイコプラズマが結晶化できることを学んだが、これは、この状態でも感染力を保っていた。
1943年、我々は公式に生物戦争プログラムを始めた。この直後に、我々は人間におけるマイコプラズマの研究をニューギニアで行う方策� �発見した。
1945年には、我々は歴史上最も大量の外国人科学者が合衆国の生物(兵器)プログラムに流入するのを見た。ペーパークリップ作戦は、大量虐殺に固執する歪んだ平行政府(parallel government)の最も破廉恥で暗黒な計画のうちの一つとして生き続けるだろう。
1946年、合衆国海軍は悪名高い人種差別主義者の生物学者であるアール・トラウブ博士(Dr. Earl Traub)を雇った。3月の承認聴聞会では「秘密の」生物兵器の存在が確認された。
1948年に、我々は合衆国がある特定の人種グループの人口過多問題を公表するための「スキームを発案」することを保証する確認を行ったことを知っている。国務省のジョージ・マッケナン(George Mckennan)のメモは、無辜の人々を大量虐殺しなければならないという優生学の虚偽を永遠に照らし出すだろう。
1949年には、ビョーン・シガードソン博士(Dr. Bjorn Sigurdsson)がビスナ・ウィルスを分離した。ビスナは人工のものであり、ある「特定のDNA」をHIVと共有している。合衆国議事録(Proceedings of the United States)、NAS, Vol. 92, pp. 3283 - 7(1995年4月11日分)を見よ。
1951年、ここにおいて、我々は我々の合衆国政府がアフリカ系アメリカ人に対して最初のウィルス攻撃を行ったことを知ることになる。ペンシルバニアの梱包用の木箱の汚染状況からみて、どれほど多くのバージニアの(木箱を扱う)黒人労働者がこの偽のウィルスに感染していたかがわかる。このウィルスは、実験的に羊と鹿にも感染させられた。文筆家のエバ・スニード(Eva Snead)によれば、彼らは同時に最初のAIDS様ウィルスに関する世界会議を開催している。
1954年には、ビョーン・シガードソン博士が彼の最初のビスナ・ウィルスに関する論文を発表し、「AIDSウィルスの祖父」としての地位を確立した。彼は後にカールトン・ガジュセク博士(Dr. Carter Gajdusek)からの挑戦を受けることになる。
1955年、彼らは人工的にタバコ・モザイク・ウィルスを合成できるようになった。マイコプラズマは永久に合衆国の生物戦争プログラムの中心に居座ることになるだろう。
1957年、未来の合衆国大統領ジェラルド・フォードとその周辺は国防省に対して、積極的に防衛的な生物兵器を展開する許可を与えた。1957年に「特別作戦・X」(Special Operation-X)が創設されるまでは、AIDS症状の記録はない。この(SOX)プログラムは1962年に始まるスペシャル・ウィルス計画に直結する前哨計画として貢献した。
1960年までに、ニキータ・フルシチョフは生物兵器計画を推進していた。彼の1960年の発言は、共産主義と民主主義の秘密の混合物として永く記憶されるだろう。2つの大国はこの後の1972年11月には、黒人人口を間引くという合意に達することになる。
1961年、科学者のハルドア・トーマー(Haldor Thomer)はウィルスが癌を引き起こすという論文を発表した。1995年には、彼とカールトン・ガジュセクはアメリカ科学アカデミーに「羊におけるビスナの研究は抗HIV薬候補の試験には最適だろう。」と報告している。
1962年には、癌研究の体裁の下で、合衆国は計画的な虐殺への道を描くことになる。「スペシャル・ウィルス」計画が2月12日に開始され、レン・ヘイフリック博士(Dr.

2012年3月22日木曜日

字下げスタイルまたはインデントスタイル(英: Indent style)とは、プログラミングにおいてプログラムの構造を明らかにするために、コードのブロックの字下げをどうするかを決めたものである。本項ではC言語やそれに類似した言語を主に扱うが、他のプログラミング言語(特に括弧を使用してブロックを記述する言語)にも適用可能である。字下げスタイルはプログラミング作法の一部である。

字下げは大半のプログラミング言語では必須ではない。むしろ、プログラマは他の読者、あるいは自分自身にプログラムの構造を見やすく伝えるために字下げを行う。特に字下げは、条件分岐やループといった制御構造を明示するために使われる。しかし、一部の言語(PythonやOccam)では、括弧やキーワードではなく字下げで構造を記述するようになっている(オフサイドルール)。

字下げの大きさもスタイルによって様々である。多くの初期のプログラムは字下げにタブ文字を使っていた。これは、単純であり、ソースファイルの大きさを無駄に大きくしないという利点があった。UNIXのエディタは一般にタブを8文字の空白と同じに扱うが、Macintoshでは4文字であり、このように定義が異なる環境でソースファイルをやり取りすると混乱が生じる。最近のプログラミング向けエディタでは任意のサイズの字下げが可能であることが多く、空白文字とタブ文字を適当に混在させて使用する。また、クロスプラットフォームでのタブ文字の違いを避けるため、全て空白文字で字下げを行うことも可能である。

字下げスタイルやタブ文字の長さを自動的に調節するプログラムも存在する。例えば、UNIX系オペレーティングシステムによく搭載されているプログラムとして indent がある。このようなプログラムは、その作者が一般的と考えた字下げスタイルが自分の字下げスタイルに合っている場合には有効であるが、自分の字下げスタイルと違っている場合には余計に不満が出てくる場合もある。

[編集] K&Rのスタイル

K&Rスタイル (あるいは、カーネルスタイル)とは、ブライアン・カーニハンとデニス・リッチーの著書『プログラミング言語C』で使われた字下げスタイルであり、C言語で一般に使われている。Objective C、C++、C# などでは、それほど一般的ではない。このスタイルでは、ブロック開始の中括弧を制御文と同じ行に置き、ブロック内の文を字下げして記し、ブロックを閉じる中括弧を制御文と同じ字下げ位置に戻して記す(その行は中括弧が先頭になる)。関数はそれとは異なり、関数の定義の最初の中括弧は宣言の次の行の先頭に記され、宣言と同じ字下げレベルとなる。

  int main()  {      ...      while (x == y) {          something();          somethingelse();          if (some_error)            do_correct();          else            continue_as_usual();      }      finalthing();      ...  } 

このスタイルの支持者はこれを "The One True Brace Style"(1TBS あるいは OTBS)と呼ぶ。UNIXカーネルやLinuxカーネルはこのスタイルでソースコードが書かれている。

このスタイルの支持者によれば、ブロック開始の中括弧は新たな行に置く必要はなく、最後の中括弧は概念的に対応する文と同じ位置まで上げるのだという。このスタイルの欠点は、ブロックの最後の中括弧が行を新たに必要とする点であるが、if/else や do/while ではこれが部分的に改善される。