海外凍結受精卵移植〜Final
報告
20日夜に帰宅し、時差ぼけもありましたが、ようやく荷物も片付き日々の生活に戻りつつあります。
カナダでは何もトラブルもなく予定通りにすべてが進み、トラブル続きだった3年前までの治療生活はいったいなんだったんだろうと、なんだか拍子抜けしたような感じでした。
カナダでの様子については折々にブログやサイトなどにまとめて行こうと思いますが、治療についてはここにすべてを報告と言う形で残しておこうと思います。
11月14日:超音波検査
正直言って、一人で検査に行きたかったのですが、色々な手続き等がある以上夫と娘を同行しなければならず。
不妊治療の病院に子供連れ。
一番やりたくないことをしなければならず心苦しい思いで出かけました。
なるべく� ��番最後の診察になるように予約の8時を大幅に過ぎて出かけたのですが、月曜日と言うこともあり、血液検査や超音波検査を受ける人たちで待合室は混雑していました。
ただ、娘もその雰囲気と外国だと言うことが理解できていたのか私のひざの上でとてもおとなしくしていてくれ助かりました。
一番最後に遅れて行ったこともあり診察は一番最後になりました。
診察の手順は何十回も経験しているので戸惑うこともなく、いつもどおりでした。
超音波検査は膣プローブで、画面には私の子宮の状態が映ります。
そこで内膜の厚みを測るのですが、その日で厚みは約12mm。
移植に最適なサイズは9mm〜12mm(8mm以上・ただし厚すぎてもいけない)と言われているので、安心しました。
その時点で1 7日の移植が決まりました。
あとは、メールで連絡を取り合っていたKarin(娘と一字違いの名前・奇遇?)との打ち合わせ。
移植が決まると、それまで続けていたスプレキュアの服用が終わり、代わりにPrometoriumと言う黄体ホルモン剤の膣剤を使用することになります(100mg1回2錠1日3回)同時にそれまで続けていたEstragiol卵胞ホルモン剤2mg1日3回を2回に減らすことになります。
そして、移植に対する同意書にサインをして(詳しく読んだことはないけど・笑)終了。
ここのクリニックのあまりよくないところは「移植の時間は後日連絡する」と言うことで。
移植まで友人宅に滞在する予定がある私にはホテルに時間通り電話してもらえれば済むのだけれど、たいてい時間通りにかかってこないため、� �ちらから何度も連絡をしなければならなくなるので困るわけで。
これがかなりのストレスになることは、今も昔も変わってないなと思いました。
何が胸の混雑感を助けることができますか?
私は恐縮しながら娘を連れて行ったのですが、実は同じように子供を連れてきたインド系の女性がいました。
だから、少しだけ、救われた気分。
もちろん、私がまだ一度も体外受精に成功していない患者であれば「どこかに預けてきてよ」って気分になることには間違いないのですが。
でも、少しだけでも言い訳させてもらえるならば「私でもここのクリニックでこの子を授かることができたから、あなた達も大丈夫ですよ。がんばって。」と言う気持ちではありました。
そんな気持ち、伝わらないと思うけれど。
でも、特別にいやな視線を向けられたりとかそんな感じはなかったです。
カナダの人は目が合うとたいてい微笑ん でくれるから(これが無意識の微笑なんで、不愉快さなんて伝わらないけど)なおさらで。
ありがたいことでした。
ほとんどの患者さんがそれぞれの診察を終えて帰って行った後、インド系女性と私の二人が待合室に残ることになり、娘はそこでその人の男の子と一緒に待合室を走り回って遊ぶことができました。
その男の子は5歳くらい。
クリニックで授かったお子さんかどうかはわからないけれど、不妊治療専門のクリニックの待合室ではあまりお目にかかれない光景だなと、ちょっとおかしかったです。
でも、やっぱり、こういう場所には娘を連れて行かないようにできたらいいなと思いました。
今回はどうしようもなかったけど。
そして、子供を授かりたくてもできなかった頃の私は、そんな恐縮しなが� �(か、どうかはわからないけれど)子供を連れてきている人の気持ちを理解することができなくて、なんだか心が狭かったなと反省しました。
もちろん、状況からそんな人の気持ちなんて理解できなくて当然だと思うし、できないから「悪い」ことは絶対にないと信じていますが。
自分が相手の立場になって考えることができない、受け入れられない状況でいたことはたとえ不妊治療を受けているという事実があっても、人として大切なことを忘れていたんだなと思います。
治療ってそんな風に心を狭くしてしまうところがあるというのはゆがめないけれど。
不妊治療を受けている間に、赤ちゃんや子供連れの人に近寄れない、仲良くできなかった自分がとても残念でなりません。
そんなことを考えながら、3年半ぶり� �クリニックを後にしました。
11月17日
胸には、期間中に大きくなって
移植当日。
11時15分と言うのが私の予約時間でした。
時間少し前にクリニックへ着くと娘と夫は待合室で待つように言われました。
確かに、これから移植する人たち、移植したばかりの人たちの中に子供連れは遠慮して欲しいと私も思います。
私はナースについて懐かしいクリニックの奥(入り口周辺は血液検査や超音波検査を受けるだけのスペース)へ入っていくことになりました。
奥の待合室には大体同時に6人の人が休めるスペースがあります。
移植だけだと少し狭いスペース、採卵の人たちを優先した場所割りになります。
このクリニックは採卵でもベッドではなく大きなソファ(水平に近い位置まで背中が倒れ、足の� �分が上がる)に座ります。
トイレでラップスカートのような術衣に着替え、指示があるまでにトイレを済ませておくようにと言われるのですが今回はその逆の指示が出ました。
「トイレを我慢して」
正直言って最後に移植を受けたのは3年前。
ほとんどどんな手順で受けていたかを忘れていたので何の疑問にも思いませんでした。
支度ができて順番を待っている間、担当ナースが私のところへ来て、まず移植する受精卵について説明がありました。
彼女が持っている資料と、私に渡される資料は若干違いました。
彼女が持つ資料によると
NO.1解凍OK/ステージ(分割数)8を訂正して9/グレードB
NO.2解凍OK/ステージ6/グレードB-
NO.3解凍×
NO.4解凍OK/ステージ2/グレードB
と書かれていま した。
私の持つ資料にはNO.3については書かれておらず、3つの受精卵が解凍できたので移植すると書かれており、残り2個、胚盤胞1個となっていました。
そこで「なぜ、胚盤胞を解凍しなかったのか?」と聞いたのですが、彼女の答えは「それはドクターの決めることなので」と言うことで詳しい説明がありませんでした。
この胚盤胞は以前凍結に値しないと言われたものが遅れて分裂が進み胚盤胞まで育ったのですが、コーディネーターによると「とてもダーク(暗い色)をしている」と言うこと。
それが解凍しなかった理由なのかどうかはドクターに聞いて欲しいということでした。
正直言って、予想はしていたのだけど受精卵のグレードがあまりよくなくて、私自身がっかりしていました。
以前、一度だけ� ��結胚移植を受けたのですが、そのときはまだグレードがよかった記憶があった(残念ながらどう言うグレードだったかも忘れていたが)せいでした。
それに、私が治療を受けていた頃はグレードは20ランクに分かれていたし、ステージは16セルと分割の状態を教えてくれていたため、ステージやグレードの表現方法が違ったのも、感覚的に「あまりよくない状態」と聞こえてしまいました。
そういう状態で説明を聞いていたせいもあり、またナースとの相性があまりよくないかもと感じていたせいもあって、今後必要になる薬のや妊娠判定のための血液検査について「必要ないだろうって思いながら説明してるんだろうな」などと余計なことを考え。
それが原因か、この後、日本へ帰ると言うことを前提に話しているので� �が、食い違うことしばしば。
免疫系の仕事はどのように。
ここではほとんどのナースの方はてきぱきとしてきっちりと指示を与えてくれるのですが、この日の担当の人はイマイチよく話が通じないなと、こっちもイライラ。
私はそんな担当者に当たったとき、こちらの英語力も限界があるので、それが相手をイラつかせる原因なんだろうと思うのですが。
「日本へ帰るので薬の処方をして欲しい」と言うと「これは日本でも買える薬なのであなたのドクターに頼めるはず」と断固として譲らず。
「日本の医療システムは違うので、処方してもらえるかどうかはっきりしない」と言っても「更年期障害の治療に使う薬なので内科医も処方してくれる(そりゃカナダならそうかもしれないが)」と言い張り、お互いの意� �が平行線をたどり。
そこで彼女に「いつまで薬が必要なのか?」と聞いたとき「それから10週間必要」と答えました。
それで、私が計算を始めると「自分でするから」と自分のオフィスに戻ってしまいました。
その頃、私にはもうひとつ気になることが。
それは待合室にいるはずの娘が大きな叫び声を上げていたこと。
そこで、別のナースに頼んでクリニックの入っているビルの下にあるショッピングモールで待つように伝えてもらいました。
色々な状況が合わさり、ナースが強情なため薬の結論が出ないまま移植の順番が回ってきてしまいました。
担当は今まで常にお世話になってきたドクター。
外の騒ぎが聞こえていたのか「お嬢さんはいくつになった?」といきなりの挨拶(笑)
「来月3歳です� ��
「どうしてそんなに時間を空けたの」←ドクターのジョーク
「母親業に慣れるのに時間が要りました」
「母親業には慣れたりしないよ〜、はっはっはっ」
いつもしかめ面のドクターにしては珍しくジョークを連発して私をリラックスさせようとしてくれました。
ところが。
その間、ナースが私のお腹に超音波をあてようとしていて。
「朝から水分摂った?トイレで出さないように言ったでしょ」とご立腹。
え?そんなこと言われなかったけど。
私が移植を受けていた頃はトイレは済ませておくのが基本。
このクリニックでは受精卵移植の状態を患者に見せるようなサービスは今まで一切ありませんでした。
が。
ドクターの前なのでナースのプライドを傷つけてはいけないと思い
「前回からず いぶん時間が経っていたので、手順を忘れてしまいました、ゴメンナサイ」と答えていたら。
「彼女が治療を受けていた頃からはずいぶん方法が変わったんだ」とドクターが助け舟を出してくれました。
結局、ぜんぜん超音波では移植の状態を見せてもらうことができず、以前の方法のまま移植を受けることになりました。
最後に薬の話になり「彼女は日本のクリニックでは買えないと言う」とナースが不満をドクターにぶつけ。
ドクターは一言
「ここで処方箋を書いてやればいいじゃないか」
「でも、いらなくなったらもったいないから」←この一言めちゃくちゃ傷つくでしょう。
たった今、移植を受けたばかりの私に言うセリフですかね〜。
もめるのがいやなので私が「日本のドクターに頼んでみます」と 言ったらドクターが怒って。
「彼女には必要なんだ。処方箋を用意するように」
この一言で処方箋問題は終了。
「成功を祈ってるよ。長い帰り道、気をつけて」
ドクターはそう言って部屋を出て行きました。
結局、その騒ぎのおかげで胚盤胞を解凍してもらえなかった理由は聞けずじまいでした。
その後もナースはなんとなく機嫌が悪く。
必要数がわからないからとスタッフに計算してもらうといなくなり。
私も一人で計算したら。
戻ってきたナースと私の数字が合わない。
ナースは「計算してもらったから間違いない」と私の意見をまったく聞く気がなく。
ナースと私の計算では5箱(140個)の差が出ました。
おかしいなと思いながら、その処方箋とその後の血液検査の依頼書を受け取りました(これはカナダでしか使えないものだったが、もうどうでもいいやと思った)
と、同時に娘の泣き声が聞こえ。
仕方ないのでそれ以上ナースとバトルしても意味ないと思い直し、クリニックを後にしました。
薬はショッピングモール内にあるドラッグスト� ��でいつも買っているので、その店にエレベーターで移動する間に、それまでのいきさつを夫に報告。
夫は戻って計算しなおさせるといいましたが、もう面倒になって
「いいよ、偽造するから」(笑)
私はナースが薬を5個と書いたのを見ていました。
そこで、その数字の前に1をプラス。
1箱28ドルのものなので10個増えるということは280ドルプラスされること。
今は1カナダドルが100円なので2万8000円の出費が増えるのですが。
そんなこと言ってられない、と思ったわけで。
ただ。
15個と言うのがばれたら大変なことになるのでは…とびくびくしながら処方箋を提出。
薬が用意されるまでに時間がかかるので、その間買い物をしていたのですが。
戻ってきてみると意外にあ� ��さり。
「たくさんなので、箱だと量が増えるからボトルに入れ替えました」
こんなんでいいのかな、と思う反面、あまったら更年期の治療に使えばいいや、とあっさり考えることにしました。
ホテルに戻って休息を取る間、私はクリニックからもらった説明書を読んでいました。
そして、一番最後のライン。
妊娠10週まで薬を続けてください。
そこには until 10weeksと書かれていて、ナースが言ったように10 more weeksではありませんでした。
いくら私でもそれを聞き間違えることはないです。
判定日は移植後16日。
つまり、妊娠週にすると4週目の終わり。
薬はそこまでもらっているので5週目から10週目までの薬が必要となります。
一日3回、6錠(一箱28錠入りなので4日ちょっと分)ナースがくれた5箱では足りないことになり。
私が計算した妊娠14週(4週終わりから10週間)とも違いました。
そんなわけで数はあまりが出るだけ持っているので心配ないのですが(Estradiolについてはその時点で計算せず。言われたままにもらってきたけど、妊娠20週くらいまである)
日本から移植を受けに行く大変さも十分味わいました。
その日の午後は完全休養。
その後数日間は力を入れるような生活は� ��ないようにと言われたのですが。
外国で「ままだっこ」「つかれた」が口癖のようになってしまった娘がいては、そういうわけには行かず。
遠慮がちですが、力を入れる生活を強いられました。
強いて言えば、よかったのは移植後すぐに帰宅しないですんだということでした。
その後11時間のフライト、4時間の乗り継ぎ、1時間半のフライト、1時間の車移動で深夜に帰宅しなければならないスケジュールだったので、治療がスムーズにいけたことはとてもよかったと思っています。
その後、本日まで、何も変わらない生活を続けています。
そろそろお腹の中では結論が出ているはずですが、来週末まで血液検査に行く予定はなく。
薬(PrometrioumとEstradiol)を続けている以上、血液検査でしかはっきりした結論が出ないようです。
妊娠判定の血液検査に行くには以前頼んだ病院を考えてはいるのですが、そこでは結果が1週間先になる可能性があり。
他の不妊専門のクリニックならすぐに結論が出せると思うけれど、妊娠判定だけに不妊クリニックに行く気にもならず。
来週末、どこへ行くかを考えているところです。
色々とあった移植でしたが、これが最後なのだと言う感動は、残念ながらありませんでした。
納得いく治療も受けさせてもらった� ��、娘も授かったのでもういいか、と言う思いもあるけれど、あと1回フレッシュサイクルでやってみたいかも、と言う気持ちがないとも言えません。
治療に入る前の血液検査の結果がとてもよかったので、ちょっと欲が出ているのかも。
でも自分でも十分にわかっていること。
多分、私にはもうそんなパワーはないだろうということ。
そんなわけで、結論まではまだまだ時間がありますが、幸いにして娘と言う存在が私を忙しくさせてくれているため日々「結論」に対する複雑な思いに左右されることがなく過ごせています。
これはとてもありがたいのだけれど、逆にちょっと寂しい気持ちもあります。
もしかしたら、私の心の中では「もう無理かな」とあきらめている気持ちが大半を占めているのかも。
これ� ��で判定が出るまで苦しんで悩んで焦れて、そんな思いを抱えて一日が一年のような長さに感じる日々を過ごしていたけれど、逆にそんな気持ちの奥底に「期待」に膨らむ気持ちが必ずありました。
年齢と言う壁、グレードと言う壁、そんなものに最初から「勝負を投げている」ような自分がいるようで。
もちろん、そこにも「期待して裏切られたとき」の気持ちを考えて、あえて一歩踏み込まないようにしている自分がいることも理解しているのだけれど。
そんな私はきっと「最後の治療」を受け入れる準備ができたのかもしれないと思います。
治療に対する前向きな思い、必死な気持ち。
それがあってこそ、治療は継続できるのだと。
今回の移植によって、不妊治療の終止符を卒業と言う形で迎えること� ��できた私はとても幸せだと思うし。
そして、そこまでがんばることのできた自分をとてもとても誇りに思います。
結果はもう、オマケ、かな(笑)
November.23.2005
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