アタリショックの原因は「海賊ソフト」ではない:Runner's High!:So-netブログ
○アタリショックの真実(2)「そして崩壊する北米ゲーム市場」 (from 東京のはじっこで愛を叫ぶ)
以前に「任天堂法務部 最強列伝」の記事を取り上げたことがある東京のはじっこで愛を叫ぶさんですが、今度は80年代にアメリカで起きた家庭用ゲーム市場の崩壊―――いわゆる「アタリショック」に関する考察を披露されています。
当時のリアルタイムな資料に基き、極めて真摯な態度でこの問題を解きほぐそうと努力されていることは理解できます。
・・・しかし残念ながらその内容は「真実」と遠くかけ離れており、到底評価することはできないというのが僕の感想です。
メーカー名や細かい数字の誤りについては、取り急ぎコメント欄で指摘させて頂きました。
また同じくコメント欄でClassic 8-bit/16-bit Topicsのhallyさんが述べられているように、「家庭用ゲーム市場とホームコンピュータ市場を合わせてビデオゲーム市場と呼ぶ」とは、一般的な見方に思えません。
さらに、試作ソフトがあたかも市場価格に影響を与えたかのような説明がありますが、これは全くの誤解です。試作ソフトはあくまで、デモンストレーションやテストプレイのためにごく限られた数だけ製造されたものです。正規に販売されていたわけではありません。
そして、僕が最も疑問に感じたのが次の部分です。
淋病はどのように一般的ですか?
アメリカでは年末商戦を「ホリデーシーズン」と呼び、期間も10~12月と非常に長い特徴があります。玩具界にとっては、この時期に収益の8割近くが集中するという超かき入れ時でもあります。 そんな1982年のホリデーシーズン。前年から圧倒的な成長率を誇ったAtari2600のソフト価格が、突如暴落を始めます。新品ソフトがいきなり5割6割引で店頭に並ぶのですから、半端ではありません。 「ミサイルコマンド」という降り注ぐ隕石を、迎撃ミサイルで撃墜するというゲームがあるのですが、その類似ソフトだけ3タイトルも発売されています。紹介しているソフトはみんな固定砲台が、上空から飛来する敵を迎撃するゲームです。 さらに海賊版が追い討ちをかけました。この海賊版。ブラジルを中心とした南米や、ドイツを中心とした欧州で、本家を凌ぐ猛威を振るうことになります。(中略) 粗製濫造通り越して、すでに劣化コピー市場ですね。これでは「暴落するな」と言う方が無理な話です。しかしアタリ社は理由の分析ができず、ホリデーシーズンの値引き合戦と勘違いして追随。値下げ宣言を行って、暴落に拍車をかけてしまいました。(TIME 1983年6月27日) |
(反論)
いや、海賊ソフトが猛威を振るっていたのが欧州や南米なら、アメリカ市場の「暴落」には関係ないでしょ?
海賊ソフトが82年末のホリデーシーズンに影響を与えたと言うのであれば、そこで提示されるべきなのは"アメリカ本国"での状況です。欧州や南米を引き合いに出す東京のはじっこで愛を叫ぶさんの主張は、ロジックとして成立していません。*1
C型肝炎に関する情報とどのようにパートナーに影響を与える
そして結論から先に言うと、82年末のアメリカで海賊ソフトが市場価格を左右するほど大量に流通していたという事実は存在しないのです。
現に、市場崩壊を示す決定的な記事として紹介されている「Video Games Go Crunch!」では、家庭用ゲーム市場の問題点として「サードパーティの大量参入」、「質の低いソフト」、「需要を見誤った過剰在庫」が指摘されているものの、海賊ソフトについては全く触れられていません。
また、「暴落」のソースとして記されている83年6月27日付のTIME誌ですが、アタリ関係の話題が確認できるのは次の記事だけです。
○Shake-Out in the Hardware Wars
見ての通り、この記事はホームコンピュータの価格競争を報じたものです。家庭用ゲームとは関係ありません。率直に言って、一体何を根拠に海賊ソフトが市場価格に影響を与えたと主張されているのか理解に苦しみます。
そもそも、我が国で広く流布している「アタリショック観」の最大の欠点は、アタリ社の失敗(もっと言えばVCSの失敗)のみに市場崩壊の責を押し付けている点にあります。
確かに1981年の時点で、VCSが最も普及率の高いゲーム機であったことは事実です。しかし翌82年にはアタリ社の5200やコレコ社のコレコビジョンが登場。マテル社のインテリビジョンも加えて、"ポストVCS"を巡る争いが繰り広げられていました。
東京のはじっこで愛を叫ぶさんは、「(家庭用機の市場規模は)1982年にピークを迎えた」と述べられています。しかし、アタリ社(とその親会社であるワーナー・コミュニケーションズ)の動向を書き連ねるだけです。これでは、"ビデオゲーム市場全体"という視点に欠けていると言わざるをえません。
「アタリショックはソフトの粗製濫造だけが原因ではない」と仰っているものの、結果的に旧来のアタリショック観を一歩も出ていないのです。
cronでは病は何ですか
では、当時のゲーム市場とはどのような姿であったのか?
米電機工業会が発表した、卸台数ベースでの家庭用ビデオゲーム市場に関する資料を次に示します。
年 | 機器(百万台) | カートリッジ(百万本) |
1980 | 2.2 | 9.0 |
1981 | 4.2 | 30.0 |
1982 | 8.2 | 60.0 |
1983 | 6.6 | 75.0 |
1984 | 3.0 | 54.5 |
1985 | 1.5 | 20.0 |
■アメリカの家庭用ビデオゲーム市場 ― 小売店への卸台数(米電機工業会)
注目すべきは、83年のゲームソフトの卸台数です。なんと、前年より1500万本も多くなっています。
そして、これらのソフトが全て投売り状態だったわけではありません。
「Phenix: The Fall & Rise of Videogames」のLeonard Herman氏は、83年のゲームソフトの総売上数7500万本のうち4.99ドル以下で販売されたソフトは全体の27%に留まり、残りの73%は30ドル~40ドルで販売されたと指摘しています。
これらの数字が意味するところは何でしょう?
そうです、実は市場崩壊のさなかでもユーザーのビデオゲームに対する興味は失われていなかったこと。そしてVCS以外のプラットフォームに関しては、いまだ深刻な値崩れに直面していなかったことを示しているのです。
"アタリVCSの失敗"と"ゲーム市場の崩壊"はイコールではない―――この部分を理解して初めて「アタリショックの真実」に近づくことができると僕は考えます。
以上長々と反論を述べましたが、実を言うと僕がこの文章を書こうと思った動機は、どうしても次の点を指摘したかったからです。
「ミサイルコマンド」で空から降り注いでくるのは隕石じゃない!
ミサイルだっつーの!!!!!*2
・・・別に知識自慢したいわけじゃないけど、記事タイトルに「真実」と掲げるからにはもう少し細かいところにも気を配って欲しいです。これにめげずに、頑張って下さい。
【脚注】
*1 ちなみにPAL圏に属する欧州仕様のソフトは、アメリカの本体では正常に動作しない。
またブラジルに関しては、VCSの本格上陸は83年以降。82年末の時点でDYNACOMやCCEといった非正規メーカーはいまだ参入していなかった。
(参考リンク) ○Atari.com.br
*2 (08/9/16 訂正) 『アトランティス』の作者をRob Fulop氏と書いたのは誤りでした。(正確には『アトランティス』のストーリー的な続編となる『コズミックアーク』の作者)
大変失礼いたしました。
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